その164 悪玉・日本

 ここしばらく剣道の話から遠ざかっていますが、剣道が、はっきりと「伝統文化」を掲げ示すのであるならば、我が国の歴史について負の部分をことさらに強調して日本を貶める、いわゆる「自虐史観」や「日本悪玉史観」「東京裁判史観」に苛まれていては、とても歴史を背負い胸を張って修錬し、また指導することは叶いません。
 剣道人としては今後将来のため、それらの史観からいち早く脱却することが肝要であるとの思いが強くあります。
 また、これも「井蛙剣談」の一つの使命であると考えております。
 どうか今しばらくお付き合いをお願いします。

 CIE(民間情報教育局)が「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」(戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画)の一環として展開した『太平洋戦争史』は、戦後日本の歴史記述のパラダイム(一般化され、一時代の支配的な物の見方や時代に共通の思考の枠組)を規定したとする日本を悪玉に仕立てる宣伝文書です。
 GHQ(連合国軍総司令部)は、この『太平洋戦争史』を1945年(昭和20年)12月8日より10回にわたり各新聞社に連載させました。その前書きには、

≪日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に遑(いとま)がないほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されてゐるものの、その多くは未だ白日の下に曝されてをらず、時のたつに従って次々に動かすことの出来ぬ明瞭な資料によつて発表されて行くことにならう。
 これらの戦争犯罪の主なものは軍国主義者の権力濫用、国民の自由剥奪、捕虜および非戦闘員に対する国際慣習を無視した政府並びに軍部の非道なる取扱ひ等であるがこれらのうち何といつても彼らの非道なる行為の中で最も重大な結果をもたらしたものは真実の隠蔽であろう。この真実の「管制」は1925年(大正14年)「治安維持法」が議会を通過した瞬間に始まつたものである。この法律が国民の言論圧迫を目的として約20年にわたり益々その苛酷の度を増し政治犯人がいかに非道なる取扱を受け人権を蹂躙せられたかは既に世人のよく知るところである。
 1930年(昭和8年)の初頭日本の政治史は政治的陰謀、粛清、そしてその頃漸く擡頭しつつあつた軍閥の専制的政策に反対した政府の高官の暗殺とによつて一大転換期を劃したのであつた。
 1933年(昭和8年)から1936年(昭和11年)の間に、所謂「危険思想」の抱懐者、主張者、実行者といふ「嫌疑」で検挙されたものの数は5万9千を超えるに至つた。荒木大将の下では思想取締中枢部組織網が厳重な統率下に編成せられ、国民に対し、その指導者の言に盲従することと一切の批判を許さぬことを教へることになつた。この時期が軍国主義の上昇期であつたことは重要な意義を持つものである。1936年(昭和11年)2月、2千4百名以上の陸軍々人は叛乱を起し、斎藤内府、高橋蔵相、渡辺教育総監を暗殺し時の侍従鈴木貫太郎大将に重傷を負はしめた。軍国主義者の支配力が増大するに伴ひ検閲の法規を強化し、「言論の自由」を剥奪するための新しい法律が制定された。そしてこの制度こそは支那事変より聯合国との戦争遂行中継続された。
 日米、日英戦争の初期においては日本の勝利は比較的国民の反駁を受けずに宣伝することが出来たが、戦局が進み軍部の地位が次第に維持し得なくなつてくるにつれて当局の公表は全く真実から遠いものに変わつて行つた。日本が多くの戦線において敗退しその海軍が最早存在しなくなつてからも、その真実の情勢は決して公表されなかつた。最近においても天皇御自身が仰せられてゐる通り日本が警告なしに真珠湾を攻撃したことは陛下御自身の御意志ではなかつたのだ。憲兵はこの情報が国民に知られることを極力防止したのだ。 聯合国最高司令官は1945年(昭和20年)10月5日治安維持法の撤廃を命令し、新聞に対するこの制度を破壊する方法をとり戦争に関する完全な情報を日本国民に与えるよう布告した。今や日本国民が今次戦争の完全なる歴史を知ることは絶対に必要である。日本国民はこれによつて如何に敗れたか、又何故に軍国主義によつてかゝる悲惨な目に遭はねばならぬかを理解することが出来よう。これによつてのみ日本国民は軍国主義的行為に反抗し国際平和社会の一員としての国家を再建するための知識と気力を持ち得るのである。かゝる観点から米軍司令部当局は日本及び日本国民を今日の運命に導いた事件を取扱つた特別記事を提供するものである≫

 この前書きの筋書きに沿って各新聞は『太平洋戦争史』を連載するわけですが、これはまさしく「国民は完全なる歴史を知るべきだ」、「軍国主義者の行った侵略を白日に」などGHQによる宣伝占領政策の一つでありました。
 このようにして日本国民へ洗脳が行われ、いまだこの呪縛から完全に解き放たれていません。
づづく

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